談話室松本をリニューアルしました。
これまでの談話室松本はこちらからチェックできます

  1. top
  2. 音楽
  3. 高橋幸宏、鮎川誠、美術大学

高橋幸宏、鮎川誠、美術大学

音楽
Feb 03,2023

多くの大学では、毎年秋に学園祭というイベントがある。

自分の通っていた大学でも、11月のアタマに3日間、毎年学園祭が開かれていた。

ただ自分の通った大学は美術大学だったために、それを学園祭とは呼ばずに芸術祭、通称芸祭(ゲイサイ)と呼んでいた。

芸祭という呼び方は、地方ではわからないが、当時東京にあった美術専門の5つの大学(東京芸大、武蔵野美術大学、多摩美術大学、女子美術大学、東京造形大学)いわゆる通称五美大(ゴビダイ)では共通する呼び方だった。

お2人ともほぼ同時にいなくなってしまい寂しいです。
今と違って、当時は大学1年から飲み放題で、僕の通っていた大学は東京で一番お酒の消費量が多い大学として知られていた。
確かに大学のあちこちで昼間から酒に呑まれてしまった学生たちを見かけ、その多くが酒に慣れていない1年生だった。
酒が出るのは芸祭の時だけではない。
入学してからすぐに、1年生歓迎コンパ、通称「新歓コンパ」が毎週のように学内の食堂で開かれた。
学部の先輩たちが新しく入学してきた1年生を歓迎する名目で開かれるコンパだが、学部や学年問わず、学内の誰でもが参加が可能で、近くの店で飲むよりずっと少ない金額でお酒を飲むことができた。
学部だけではなく、サークルの新歓コンパも毎週開かれ、こちらも同じように学内にいる誰でもが参加可能で、そこでもたくさんの酒がふるまわれた。
それが終わると、大学の近所の居酒屋で朝まで飲み続けるのが恒例で(そちらも誰でも参加可能)、そこで1年生の多くがつぶれてしまうのだった。
吐いてしまうのはデフォルトで、奇行、異性といなくなる、トイレから1時間出て来ない、路上で寝てしまう、などは日常茶飯事だった。
今思い出すと、間違いなく急性アルコール中毒の症状で危ない状態だった学生がたくさんいたと思うが、当時その病名と症状はまだ世の中で認知されておらず、そのような症状の学生がいても誰も救急車は呼ばずに、静かに寝かせておくだけだった。
自分も最初は驚いたが、毎週そうした学生を見ているうちに、慣れてしまった。
1979年のセカンドシングル。名曲You may dreamは細野さん作曲。
衝撃的なジャケットのセカンドアルバム。ロゴが80s。
東京在住の学生はほとんどおらず(1クラス30名のうち1人くらい)地方から出てきて一人暮らしを始めたばかりの学生にとって、それは本当に生まれて初めて社会に出たような強烈な記憶として残り、人によっては開放的で楽しい経験だっただろう。
僕もそのうちの一人だ。

自分の通った大学の芸祭は、大学側の規則によって20時で終了する。
ロックアウトと言って、20時になると学内のすべての電気が強制的に落とされるシステムだった。
そのため20時までには建物から出なければならない。
でないと真っ暗でどこに何があるのかもわからない状態になってしまうからだ。
ただ自分の通った大学以外、夜通しで朝までぶっ続けで芸祭をやる大学もあった。
朝まで芸祭を行う大学が2つもあったのだ。
20時までの宴では、まだまだ不完全燃焼な僕たちは、自分たちの大学からロックアウトされたあと、朝まで芸祭をやっている他の美術大学に移動した。
そこでは、さらに多くの事故が起きるのは当たり前だった。
2つの大学ともにロケーションは山の中、学校の裏は真っ暗な森になっており、朝まで飲み続ければ当然、色々な問題が起きるのは必至だ。
それを取り締まっているのが、その大学のアメフトの学生たちだった。
彼らは学内で飲み逃げや喧嘩などが起きると、どこからともなく現場にすぐに現れて、半ば力づくで解決していた。
身体が大きく屈強な男たちが、かなり粗っぽいやり方で介入してくるの見て、同じ美大でもこうもカルチャーが違うのかとちょっと自分たちもビビった。
その大学に通っている学生でなくても誰でも入れる大学で、朝まで芸祭を行うということは、治安がそれだけ悪くなるということなのだ。
本当かどうか知らないが、教室で色々な悪さをしていた話を、自分たちもたくさん聞いた。
今では考えられない。
ハーフで男前なんだけど、福岡弁のギャップが魅力的でした。


僕たちが朝まで芸祭をやっている美術大学に行くのには目的があった。
それが毎年体育館で行われるオールナイトロックフェスだった。
20時にロックアウトされると、ロックフェスを見るために、複数の車に分乗してみんなで出かけた。
当然飲酒運転だが、当時それは誰もがやっていい(良くないが、、)時代だった。
僕らの目当てのバンド。
それがシーナ&ザ・ロケッツだった。
体育館はオールスタンディングなので、みんな間近で演奏を見て踊り狂っていた。
彼らのギグは夜中の12時からだった。
模擬店でビールをたくさん飲んで、満員の体育館で演奏を見た。
生のシナロケを見たのはそれが最初だった。
レスポールを弾く鮎川誠はカッコよかった。
演奏を間近にみて興奮してエネルギーを使ってしまい、その後夜明けまでの時間がものすごく長く感じた。
そして11月の夜明けの時間は凍えるように寒かった。
衣装デザイン担当は幸宏さん。プロデュースは細野さん。
大学を卒業しても彼らのライブを見る機会はあった。
武道館で行われたギグも見に行った。
今はシーナも鮎川誠ももういない。
そして僕らの大学の先輩である高橋幸宏もいなくなってしまった。
YMOの演奏するデイトリッパーで、ギターを弾いているのが鮎川誠だということはあまり知られていない。
同様に、シーナ&ザ・ロケッツのアルバムの演奏にYMOが参加していることも、細野さんや教授の曲を演奏していることも、あまり知られていないだろう。
僕は当時、ロックとテクノの人がなぜ一緒に演奏しているのか、理解ができなかった。
モッズとロッカーズのように、トライブが異なる人たちが、同じ曲を一緒に演奏するなんてどうして?と思っていた。
それはどちらも細野さんがプロデュースしているから、ということをあとになって気付く。
大学の先輩である高橋幸宏と、他の美術大学で初めて出会った鮎川誠、彼ら2人の演奏する音楽を何度も繰り返し聞いてきた。
どちらも他の追随を許さず、独自の光を放ち、そしてデビューアルバムのジャケットのデザインが素晴らしい。
音もデザインも、今でも尖っていて、ギザギザしている感じを失っていない。
あぁ、2人とも早すぎる。

今日も先輩2人の作った音楽を聴こう。

SHARE THIS STORY

Recent Entry

松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
    青山ブックセンター