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AMANPURI 30年色褪せないブランディング

旅
Aug 18,2017

皆さんは、もう夏休みは終わりましたか?
僕は先週夏季休暇を取って、今週からバリバリ働いているのですが、夏休みが楽しかった余韻で、今週は仕事があまり進みません・・・汗
来週からは本格的にエンジンかけて頑張りたいと思います。

勉強のためにアマンは非常に参考になりました。
さて今年はタイのプーケットに行ってきました。
タイに行くのはこれで2回目です。
以前はエスニックが食べられないせいもあって、東南アジアが嫌いだった自分も、今では抵抗なく行けるようになりました。
今日はタイで経験したことを書きたいと思います。

タイには1週間くらい滞在しましたが、後半はあの有名なアマンプリに泊まりました。
アマンは2年前に東京にもできたので、皆さんもご存知のことでしょう。
知らない人のために、アマンリゾートについて簡単に説明すると、
現在世界20カ国 31の施設を持つ、ラグジュアリーリゾート系のホテルチェーンです。
アマンはサンスクリット語で「平和」を意味しますが、なぜ世界に知られているかといえば、そのスタイルでしょう。
創業者エイドリアン・ゼッカーが1988年に、プーケットにアマンプリを作ったのが最初、
そう、先日自分が滞在したホテルです。
このエイドリアン・ゼッカーという人は、スティーブジョブスみたいに、ホテル業界では革命的な人物であるため、アマンも広く知られるようになりました。

30年前に旅行でプーケットを訪れたゼッカーは、そこに自分の別荘を作ろうと計画しますが、自分が不在の間はどうすればいいか?を考え、じゃホテルにして他の人も泊まれるようにしよう、というなんとも奇想天外な発想で、アマンプリを作ったのでした。
実績がないため銀行から融資を断られたゼッカーは、知人たちからお金を集めてアマンプリを完成させたそうです。
ちなみにアマンプリとは「平和なる場所」という意味です。
タイの伝統的な建築様式と西洋のモダニズムの融合
このアマン最初のアマンプリで、ホテルのデザインを担当したのが、アメリカ人建築家エド・タートルです。
ゼッカーとタートルは、アマンプリ以後も続けてアマンシリーズのホテルを2人で作り上げていきました。
このエド・タートルという人がまたスゴイ。
天才ですね。
パークハイアットミラノや、パリのパークハイアットヴァンドームも設計しています。
そういえば、ライムストーンをふんだんに使ったパークハイアットミラノは、アマンキラにデザインが似ていますね。
遺跡のようなジャワ島のアマンジウォ、有名なインフィニティの3段プールがあるバリ島のアマンキラ、アフリカ初のアマンであるモロッコのアマンジェラ、砂のビーチで食事ができるフィリピンのアマンプロ、
ゼッカーとタートルのコンビが作ったアマンリゾートは、どれも信じられないような素晴らしさです。

ちなみに東京のアマントーキョーや去年伊勢志摩にできたアマネムは、ゼッカーとタートルのコンビが手掛けたものではありません。
だからなのか、アマンを愛する一部の人たちからは批判もされていますね。
ゼッカーとタートルのコンビが手掛けたアマンは何がそんなに素晴らしいのか?
なかなか説明するのはむずかしいですが、以下のような特徴があります。
・パーソナルサービスを提供する30~50棟の小規模な施設のみ
・どの施設も空港からかなり遠く、交通の便の悪いロケーションにある
・広大な敷地に無駄の多い贅沢な設計
・他のホテルと比べて高い宿泊料金
空港到着時から帰りの空港でのチェックアウトまで、
一緒に同行して荷物の運搬から案内まで行ってくれるサービスもアマンだけです。
(空港からの送迎サービスなら他のホテルにもありますが、政府にお金を払って空港内サービスを行っているそう。最後の見送りまでしてくれますw)
酔って階段から落ちたら死亡しそうな海へ降りる長い階段
30年前にアマンプリが完成した時、多くのホテル関係者には必ず失敗すると言われていました。
アジアの辺鄙な場所にある高額なホテルに、いったい誰がわざわざ泊まりに行くんだという理由です。
ところがそんな論調をよそに、ハリウッドから映画の撮影ロケのためにベトナムを訪れていた俳優たちが、アマンプリに宿泊したことをきっかけに、瞬く間に評判が広まり、世界中にアマンの名が知られるようになるのです。
広告費を使わずに、クチコミで名声を獲得するなんて、30年前だというのに今の時代の戦略と同じですね。
これによってアマンプリは数々の賞を取り、ここからアマンリゾートの快進撃が始まるのでした。
後続で有名なバンヤンツリーやトリサラなど、ヴィラタイプのリゾートホテルのスタイルはアマンを手本にしたものだと思います。
夜は他のアマンと同様に、毎晩屋外で現地の楽器による生演奏があります。
僕が滞在していた2ヶ月前にはリンジー・ローハン、そして同じ時にはビクトリアシークレットのスーパーモデルやみんな知ってる日本の俳優、そしてこれまたメディアによく出ている売れっ子建築家などなどと会いました。
会うのはだいたいプールでしたけど 笑(あの有名なブラックプールです)
俳優とは共通の知人がいたので、プールで話したりもしましたが。
彼らがアップしたインスタ画像に、すごい数の支持が集まっているのを見ると、やっぱり30年前と変わらないなあと感じます。
アマンダリと言えば有名なのがこのブラックプール
さて長くなりましたが、今回はアマンの歴史を説明したいわけではないのです。
アマンが登場した30年前、常識をひっくり返して評判になった戦略が今も色あせず、現在に至まで継続的にそこで魅力を放っているということをお伝えしたいのです。
一流を知る世界中のセレブやクリエーターたちを魅了するには、それ相応の練られた戦略がそこに仕掛けられているはずです。
職業柄、そういうところばかりを見ていますが、それを皆さんにも少しだけお伝えしたいのです。
1つめは何と言っても建築です。
断崖絶壁というロケーションもスゴイですが、タイの伝統的な様式と西洋のモダニズムを融合させた建築にまず圧倒されます。
まるで寺院のように見えるタイ伝統の建築様式で建てられた建物は、タイが産地と思われる飴色の木と濃いグレーの瓦ですべて統一されています。
この2色が施設のブランドカラーになっており、どこへ行ってもそれが徹底されているのが潔く、非常に洗練されているのです。
建築だけでなく、部屋のインテリアや調度品、ライト、歯ブラシ、リーフレット、シャンプーボトルからレターセットまで、すべてに徹底されているのがスゴイ。
現代ならありそうですが、30年前にこうした絞り込んだ強いブランディングを構想したタートルの手腕に並々ならぬものを感じます。
一瞬で魅了されてしまいました。
鏡のように水面に空と木々を映し出す、アマンプリを一躍有名にしたブラックプールもタートルの設計です。
ここは共有ライブラリー。共通の格子モチーフがここでも使われています。
もう1つの特徴的なモチーフは、建物に利用されているタイの伝統的な格子のデザイン。
どの建物の壁にも、内装にも扉にも、同じ格子のモチーフがあしらわれているのですが、使う用途に応じて格子に入れる素材を、クリアガラス、フロストガラス、シルク、木材、ミラーなどに分けていて、見た目は統一されているけど微妙に違うというのがユニークでした。
ツール類はすべてグレーで統一されています
グラフィックツールにおいても、施設内はすべてグレーで統一されており、ロゴ表記の統一はもちろんですが、紙質はミューズコットン、紙のサイズは2種類というのも厳格に規定されていて、本当に気持ちがよい。
ミューズコットン紙へのロゴの印字も、マットシルバーの箔押しというのは品があってよいです。
そしてチェックアウトの時間を書いた案内であっても、レストランのメニューであっても、すべて統一したフォントが使用されているのにも驚きました。
細かい部分はタートルが指示したグラフィックデザイナーが担当したのかもしれませんが、ブランドのキーカラーを建築とツールですべて揃えるなど、ブランドのグランドデザインにはタートル、ゼッカーも当然携わっているはずです。
そこには、現在ではどの企業でも当たり前になっている経営とデザインを融合させた戦略が見て取れます。
サイト、ホテルの紙ツール、ロゴ・グレーは統一されています。
それを30年前に実践して成功したアマン。
30年前といえば、企業のCIブームがあった頃で、企業のロゴを変えれば会社が変わるみたいな信仰がブームになり、多くの企業がロゴを変えた時代です。
建築とグラフィックを統一させたブランディングという概念はまだなく、TVCMを打てば商品やサービスは売れるという時代でした。
しかし現在では、企業経営におけるデザインの活用は必須であり、すべてのコンタクトポイントで同質の体験価値をマネジメントすることが不可欠になっています。
人を惹きつける場所やモノには、デザインを通したブランド戦略が必ずあります。
それを自分の目で確かめるために、こうした場所に来ることは意義があることだと感じました。
アマンに宿泊するとスーツケースにつけるネームタグがもらえます。
余談ですが、ゼッカーはアジアの経済状況悪化の際、株主企業からアマンを追われ、代表権を奪われました。
その後一時復帰を果たしますが、現在アマンの経営に彼の名前はありません。
そんなエピソードもスティーブジョブスに似ていて、もう1度彼の活躍を見たいとも思いますね。

しかし今回の記事はちょっと長くなってしまいましたねー。 読んでいただいてありがとうございました。

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松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
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