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東京多摩地区はカルチャー震源地 2

音楽
Nov 22,2017

さて前置きが長くなりましたが、「東京多摩地区はカルチャーの震源地」の第1回はモッズについて話しました。

タイトルで東京多摩地区と言っているのに、まったく多摩地区が出てこなかった第1回 笑

今回はちゃんと多摩地区について書きますので。汗

↓↓前回の記事はこちらから↓↓

https://www.dig.co.jp/blog/danwashitsu/2017/03/post-7.html

モッズたちのお手本はSMALL FACESですね。
1963年から3年間、イギリスの若者の間で発生したモッズ現象ですが、なぜか同じ大学の構内にもこのモッズがたくさんいました。
大学時代の友人の多くがモッズだった。
僕の通った大学は中央線の国分寺から20分に1本しかない電車に乗って、さらに奥へ入った田舎町にありましたが、モッズだけでなく、パンクスやガレージ、ロカビリー、グループサウンズ、テクノ、後半になるとヒップホップやラップなどなど、学内にはサブカルから派生したたくさんの小さなグループが存在していました。
その中からテイトウワ、リトルテンポ、サイレントポエッツ、そしてスピッツ、グループ魂などメジャーデビューしていく才能が生まれるわけですが、みんな同じ大学に通っていたほぼ同世代というのがスゴイですよね。。。
古くはYMOの高橋幸宏さんも同じ大学の先輩です。

大学にはいろんな学生がいましたが、特に音楽の才能を持った人たちが集まっていた印象です。
モッズがロッカーズと対立して暴動事件(いわゆる「スタイルの暴動」)にまで発展したイギリスとは違って、異なるグループに所属していてもお互い敵視したりはせず、相手がその筋を極めていればいるほど、むしろリスペクトしていました。
こうした小さなグループがほぼ同時に出現した現象は、決して大学構内だけに限ったことではなく、当時の東京の西側=多摩地区全体に見られた現象だと思います。
その意味で、今でも僕は多摩地区はカウンターカルチャーの発信地だと思っています。 だからこそ、この記事のタイトルがそれなのですが。
「さらば青春の光」にはスティングも出演しています。
僕の知り合いのモッズたちは、ブライトンビーチでモッズとロッカーズが起こした乱闘事件を記念して毎年都内で開かれるイベント、”モッズメーデー”にスクーターで仲間と繰り出していました。
映画『さらば青春の光』のまんまです。 当時”モッズメーデー”は新宿JAM(通常ジャムスタ)という小さなライブハウスで開かれていましたが、その後川崎チッタに場所を変え、”東京スカパラダイスオーケストラ”などメジャーなバンドも出演する大きなイベントに発展していきました。
このイベントは今でも続いているはずです。
(余談ですが、新宿JAMはもうすぐ閉店すると聞きました・・・・残念です。新宿JAMこそ東京のサブカルシーンでは重要な意味があったと思います)

メジャーデビューするスカパラが出てくる前、モッズの間では”ブレーカーズ”というモッズバンドに人気が集まっていました。
”ブルーハーツ”のマーシー(現クロマニヨンズ)がいたバンドですが、このバンドも西東京出身、国分寺に近い小金井の高校のバンドでした(確か)
モッズにガレージのエッセンスを加えた、後に出てくる”ミッシェルガンエレファント”のルーツみたいなバンド。
内田裕也さんが毎年大晦日に浅草で開いていた、オールナイトロックフェスに出演して、生放送でテレビに映っていたのを家で見た記憶があります。
他にも多摩地区にはシャムロック、ページ3というモッズバンドもいて、僕らより少し年上の先輩たちでしたけど、僕たちの世代でも有名でした。
シャムロックの人は、現在コレクターズでベースを弾いています。
ブルーハーツのヒロトやマーシーのように、モッズからパンクに転向することなく、ずっとモッズを貫いていてエライですね。
モッズといえば、The Whoが一番有名でしょうかね。
ここまでモッズのことばかり書いてきましたが、自分はモッズではありません・・・(一応)
昔から同じ格好をして徒党を組むのがどうしても苦手な性格なので、見ただけでそれとわかるような、わかりやすいグループには属しませんでした。
もちろんモッズの音楽を時々聴いたりはしていましたが、さすがに全員で同じモッズパーカーを着て、スクーターに乗ってグループで行動するのには、かなり抵抗があり・・・
同時にロッカーズが好きな音楽、ジーン・ビンセントやエディ・コクラン、それだけでなく、ニューウェイブやパブロック、ユーミンからテクノポップまで(笑)、色々な音楽を聞いてましたから。
でも周りにいた友人たちの多くは、なぜかモッズ風の格好。
当時一緒にバンドをやっていたリリー・フランキーですら、まったくモッズじゃないのに、3つボタンのジャケットを着て、ベスパに乗ってました(無免で警察に捕まりましたが、、、笑)
友人たちの多くは、その筋では有名な梅が丘にある伝説のテーラー「洋服の並木」でスーツをオーダーしていましたが、このお店はのちにスカパラやミッシェルガンエレファント、そして氣志團のスーツを作ったことでさらに有名になります。
そんな友人たちに頼まれて、モッズのバンドを手伝っていた時期もありました。
もちろん僕だけ格好が全然モッズじゃないんですけどね 笑
WhoやSmall facesの曲をカバーしたのもこのバンドです。
当時の多摩地区は、どこかダサくて、インディーズ臭がしながらも、何かを生み出すパワーに満ちあふれていたように思います。

これは僕が19歳の時、ドラムを叩いていたモッズバンドの映像。
まだ自分は10代ですよ!!!
若いなぁ。 
テンポがどんどん早くなっていきますが・・・笑 若いね~。



これは大学の学食でやったライブですね。
毎年学園祭(美大では芸祭と言います)では、オーディションで選ばれたバンドが学食でライブを行うのです。
このときは400人くらいの前で演奏しました。
JAMのジャケットはWhoからの影響。日本でやったら右翼ですねww
JAMが着ていたこの黒いスーツも有名です。
スーツのネタ元はビートルズかなあ。一番カッコいい!
さてさてそんなわけで、またモッズのことを書いてしまったシリーズその2ですが、そのくらい自分のまわりの友人には当時モッズが多かったのです。
格好にも色々ルールがあって、みんなこぞってそれを追い求めていましたね。
彼らのファッションのお手本はもちろん、ポール・ウェラーですが、スタイルカウンシルではなくて、JAMでした。
あんまりオシャレになるとダメなのですwww
ファッションと音楽が結びついていた最後の時代だったかもしれません。
そんなモッズのブームも下火になると、そのあとには、さらにコアなサブカル寄りのGSガレージのブームがやってくるのですが、それについてはまた次回に書きたいと思います。

前回の東京多摩地区はカルチャー震源地1の記事はこちらから↓↓
https://www.dig.co.jp/blog/danwashitsu/2017/03/post-7.html

次回に続く

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松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
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