東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。
続「デザインの先生」の教科書
Feb 24,2026
前回は六本木で開催されている「デザインの先生展」の話をしました。
とてもよい展示なので、皆さん機会がありましたら是非お出かけください。
個人的には、やっぱりディーター・ラムスがデザインした実物が、リアルにたくさん目の前で見られるというのがなんとも良かった。
10年以上も前に、ロンドンのV&Aでラムスのプロダクトの実物を初めて見た時の感動が再び蘇りました。
https://www.dig.co.jp/blog/danwashitsu/2026/02/post-170.html
装丁も素敵な良書。ほぼ1時間で読めます
自分にとっての先生とは?
それは学校で教えてくれた担任の先生ではない。
クリエイティブを生業とする者にとっての先生は、往々にして学校以外の校外学習で出会うと前回書きました。
校外学習で出会う先生たちから直接対面で授業を受けることは叶わない。
でも先生たちが手掛けた仕事を通して、あるいは体験を通して、著書を読むことを通して、先生たちからのメッセージを受け取り、間接的に授業を受けることができる。
自分の成長のために、その授業を自ら能動的に受けに行かなければならない。
書店や美術館に行くことが、先生たちの授業を受けることなんです。
だからこの展覧会に行くことも、先生たちの数少ない授業を受けられる貴重な機会だと思っています。
それは学校で教えてくれた担任の先生ではない。
クリエイティブを生業とする者にとっての先生は、往々にして学校以外の校外学習で出会うと前回書きました。
校外学習で出会う先生たちから直接対面で授業を受けることは叶わない。
でも先生たちが手掛けた仕事を通して、あるいは体験を通して、著書を読むことを通して、先生たちからのメッセージを受け取り、間接的に授業を受けることができる。
自分の成長のために、その授業を自ら能動的に受けに行かなければならない。
書店や美術館に行くことが、先生たちの授業を受けることなんです。
だからこの展覧会に行くことも、先生たちの数少ない授業を受けられる貴重な機会だと思っています。
同じタイトルの書籍は、プロジェッティスタのバイブル。
そうした意味で授業の参考書として、この書籍も紹介したいと思います。
この本は「デザインの先生」の展示で紹介している6名の先生のうちの3人の言葉45本を集めて、解説を加えたものです。
「デザインの先生」の教科書とも言える書籍でしょう。
展示に行く前、行ったあとに読むと理解が深まります(自分は行ったあとに読みました)
収録されているのは
ブルーノ・ムナーリ
アキッレ・カスティリオーニ
エンツォ・マーリ 3人の言葉。
この本は「デザインの先生」の展示で紹介している6名の先生のうちの3人の言葉45本を集めて、解説を加えたものです。
「デザインの先生」の教科書とも言える書籍でしょう。
展示に行く前、行ったあとに読むと理解が深まります(自分は行ったあとに読みました)
収録されているのは
ブルーノ・ムナーリ
アキッレ・カスティリオーニ
エンツォ・マーリ 3人の言葉。
もしお時間あれば六本木の21‗21へ
今僕たちの前にあるAIという姿の見えない存在は、すべてのビジネスにこれからさらなる変化をもたらすでしょう。
それはクリエイティブにも間違いなく影響を与えます。
もしかしたら、もっとも影響を受けるのは、クリエイティブなのかもしれない。
先日何かの記事で読んだのですが、TVCMの背景に使われている15秒のBGMは既にAiで作れるようになってきたと。
そのせいで、それまでCMの作曲を生業として活動していたクリエーターたちは、次々と職を失っているという話でした。
15秒の曲ならAIを利用して誰でも自由に作曲できるようになったために、プロの作曲家の労働対価がゼロになってしまったという事実。
しかし、AIはオーケストラの曲は作れないらしい。たぶん編曲が複雑だからでしょう。
CMの仕事はなくなったけど、オーケストラの作曲家は影響を受けていないという話でもありました。
同じことは既にパッケージデザイン分野で顕著に起こっているし、動画でも画像生成でも、既に多くのクリエイティブ分野の仕事はAIに取って代わられている。
今後さらに加速するでしょう。
それはクリエイティブにも間違いなく影響を与えます。
もしかしたら、もっとも影響を受けるのは、クリエイティブなのかもしれない。
先日何かの記事で読んだのですが、TVCMの背景に使われている15秒のBGMは既にAiで作れるようになってきたと。
そのせいで、それまでCMの作曲を生業として活動していたクリエーターたちは、次々と職を失っているという話でした。
15秒の曲ならAIを利用して誰でも自由に作曲できるようになったために、プロの作曲家の労働対価がゼロになってしまったという事実。
しかし、AIはオーケストラの曲は作れないらしい。たぶん編曲が複雑だからでしょう。
CMの仕事はなくなったけど、オーケストラの作曲家は影響を受けていないという話でもありました。
同じことは既にパッケージデザイン分野で顕著に起こっているし、動画でも画像生成でも、既に多くのクリエイティブ分野の仕事はAIに取って代わられている。
今後さらに加速するでしょう。
ムナーリの言葉は3名すべてに共通します
この大きな社会的な変化の中で、我々は何を捨てて、何を残していくべきなのか?
我々の存在価値は何だろうか?
この本を読むと、同じような状況が、先生たちのいた時代にも起きていたことがわかります。
Designという言葉が一般的に浸透していなかった1940-50年代。
イタリアでデザインの仕事は、プロジェッタツィオーネ(progettazione =プロジェクトを考えて実践するという意味)と呼ばれ、その当事者たちはプロジェッティスタ(progettista =プロジェッタツィオーネの実践者)と呼ばれていました。
彼らの仕事は倫理性と社会性に富み、企業の利益よりも社会性のある創造と市民への教育を使命とし、消費主義社会のためのデザインとは相容れない性格を持っていた。
しかし、主にアメリカからやってきた資本主義と消費主義の急激な発展の中で、彼らの素晴らしいデザイン思想と方法論は葬られてしまった。
こうした状況は、SNSの普及やAIの登場によって、表層の表現で人の欲望を煽るような、現在進行形で起こっている消費社会の大きな動きと共通点があるように感じます。
そして本質的ではない領域、売るための表層のマーケティングにクリエイティブを利用することが顕著になっていることも共通していると思います。
みんながイケてると感じるデザイン企業の多くは、実はマーケティングがメインの会社であるという事例は往々にしてあるでしょう。
そんな多くのことをこの書籍1冊を読むだけで感じることができます。
前回、なぜ「デザインの先生」で紹介されているのが、イタリアとドイツの先生なのか?という疑問も、この本を読めば理由がわかります。
アメリカから流入してきた中身のない、売るためだけのデザインという思想に、ヨーロッパから警鐘を鳴らしていたのが「デザインの先生」たちだったということです。
我々の存在価値は何だろうか?
この本を読むと、同じような状況が、先生たちのいた時代にも起きていたことがわかります。
Designという言葉が一般的に浸透していなかった1940-50年代。
イタリアでデザインの仕事は、プロジェッタツィオーネ(progettazione =プロジェクトを考えて実践するという意味)と呼ばれ、その当事者たちはプロジェッティスタ(progettista =プロジェッタツィオーネの実践者)と呼ばれていました。
彼らの仕事は倫理性と社会性に富み、企業の利益よりも社会性のある創造と市民への教育を使命とし、消費主義社会のためのデザインとは相容れない性格を持っていた。
しかし、主にアメリカからやってきた資本主義と消費主義の急激な発展の中で、彼らの素晴らしいデザイン思想と方法論は葬られてしまった。
こうした状況は、SNSの普及やAIの登場によって、表層の表現で人の欲望を煽るような、現在進行形で起こっている消費社会の大きな動きと共通点があるように感じます。
そして本質的ではない領域、売るための表層のマーケティングにクリエイティブを利用することが顕著になっていることも共通していると思います。
みんながイケてると感じるデザイン企業の多くは、実はマーケティングがメインの会社であるという事例は往々にしてあるでしょう。
そんな多くのことをこの書籍1冊を読むだけで感じることができます。
前回、なぜ「デザインの先生」で紹介されているのが、イタリアとドイツの先生なのか?という疑問も、この本を読めば理由がわかります。
アメリカから流入してきた中身のない、売るためだけのデザインという思想に、ヨーロッパから警鐘を鳴らしていたのが「デザインの先生」たちだったということです。
こういうこと、コンペとか提案活動で何十回も感じます
先生たちの言葉をいくつか紹介しましょう。
ものからものが生まれる。
ブルーノ・ムナーリ
創造とは作者がゼロからアイデアを捻り出して作るものではなく、身の回りにある既存のものに触れ、そこから得た経験や知識を分析することから始まる。デザインとは無縁のありとあらゆるものが、ムナーリの「教師」だった。
聞いたことは忘れる、見たものは覚えている、やったことは理解できる。
ブルーノ・ムナーリ
現代において分離されてしまった2つの知性、身体的体験(暗黙知)と、客観的な知性(明示知)、この2つのレベルの違う知性を結びつけるというムナーリメソッドを言葉にしたもの。
明らかにそうだとわかっていないものについては、絶対に鵜呑みにしないこと
ブルーノ・ムナーリ
必ず、これでいいのか?と疑い、観察し、自分で真実を引き出すまで探求する。
それが探求と創造の一番の基本
ものからものが生まれる。
ブルーノ・ムナーリ
創造とは作者がゼロからアイデアを捻り出して作るものではなく、身の回りにある既存のものに触れ、そこから得た経験や知識を分析することから始まる。デザインとは無縁のありとあらゆるものが、ムナーリの「教師」だった。
聞いたことは忘れる、見たものは覚えている、やったことは理解できる。
ブルーノ・ムナーリ
現代において分離されてしまった2つの知性、身体的体験(暗黙知)と、客観的な知性(明示知)、この2つのレベルの違う知性を結びつけるというムナーリメソッドを言葉にしたもの。
明らかにそうだとわかっていないものについては、絶対に鵜呑みにしないこと
ブルーノ・ムナーリ
必ず、これでいいのか?と疑い、観察し、自分で真実を引き出すまで探求する。
それが探求と創造の一番の基本
この言葉も核心を突いていて背筋が伸びます。
スタイリングはデザインではない。
ブルーノ・ムナーリ
デザインとは消費社会発展前に成立したもの。
消費欲をそそるために表層だけをスタイリングする行為は、単に利益をあげるためだけの目的で、環境を改善する努力を一切していない。2つは同じデザインという用語で表現されるが、資本主義社会の道具としてのデザインはまったく別物である。
好奇心がないようなら、おやめなさい。
アキッレ・カスティリオーニ
自分以外の人たち、そしてその人たちの振る舞いに興味が持てないようなら、デザイナーという職業は皆さんには向いていません。
好奇心に動かされて、物や人,世界に向けて一歩踏み出し、近づこうとするその一歩が創造力の根源である。
ブルーノ・ムナーリ
デザインとは消費社会発展前に成立したもの。
消費欲をそそるために表層だけをスタイリングする行為は、単に利益をあげるためだけの目的で、環境を改善する努力を一切していない。2つは同じデザインという用語で表現されるが、資本主義社会の道具としてのデザインはまったく別物である。
好奇心がないようなら、おやめなさい。
アキッレ・カスティリオーニ
自分以外の人たち、そしてその人たちの振る舞いに興味が持てないようなら、デザイナーという職業は皆さんには向いていません。
好奇心に動かされて、物や人,世界に向けて一歩踏み出し、近づこうとするその一歩が創造力の根源である。
書籍の帯にもなっているカスティリオーニの言葉
カスティリオーニたちの思想が良く表れている
正当なデザイン/不当なデザイン
アキッレ・カスティリオーニ
デザインは善悪に近い。デザインの起源には、都合や金儲けのためではない、本当に社会にとって大事で正しいことを目指そうとする倫理観があるべきだ。
職人たちは、みな手の技術には優れているが、脳の技術が足りない。
エンツォ・マーリ
手の技術とは、言葉では説明できないが体ではできること(暗黙知)
脳の技術とは、自らの創造力のあり方を論理的、客観的に見る判断力(明示知)
その2つを持つべきだ。
アキッレ・カスティリオーニ
デザインは善悪に近い。デザインの起源には、都合や金儲けのためではない、本当に社会にとって大事で正しいことを目指そうとする倫理観があるべきだ。
職人たちは、みな手の技術には優れているが、脳の技術が足りない。
エンツォ・マーリ
手の技術とは、言葉では説明できないが体ではできること(暗黙知)
脳の技術とは、自らの創造力のあり方を論理的、客観的に見る判断力(明示知)
その2つを持つべきだ。
我々が鍛えるべきは脳の技術に他ならない
これら3人の先生たちの言葉を読んで強く感じたのは、まさに私たちが今置かれている立場は、70年前とほとんど変わっていないということ。
私たちは、急速に変化する社会の中で、身体が引きちぎられそうになりながらデザインに向き合っている。
これからを生きるために、私たちも先生たちと同じように、社会にとってのデザインに正面から向き合い、誰のために、どうあるべきかを考える必要があります。
この良書はイタリアの3名の先生から、現代に生きるクリエーターたちへの手紙なのです。
私たちは、急速に変化する社会の中で、身体が引きちぎられそうになりながらデザインに向き合っている。
これからを生きるために、私たちも先生たちと同じように、社会にとってのデザインに正面から向き合い、誰のために、どうあるべきかを考える必要があります。
この良書はイタリアの3名の先生から、現代に生きるクリエーターたちへの手紙なのです。





