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つげ義春、片岡義男、父 松本正彦、そしてローマ

私の履歴書
Mar 16,2018

僕の父が漫画家であったことは、このブログでも時々紹介しているので、既にご存知の方もいるでしょう。

専業主婦の家庭が90%以上だった昭和の時代、一日中家で机に向かっている父と、外に働きに出る母の2人に僕は育てられました。

最近2冊同時に刊行されました。新刊です。
自分の家が他人の家庭と少し違っていることに気がつくのは、中学校を過ぎたあたりからだったでしょうか。
その差異を知れば知るほど、だんだんと自分の家のことを他人には話さなくなっていきました。
心地よかったこともあったけれど、どちらかというとコンプレックスに感じていて、その期間がすごく長かった。
自分の育った環境を他人に話せるようになったのは、最近になってからです。
以前の自分なら、みんなに見られるかもしれないブログに書くなんて、絶対にできなかったでしょう。

今ではそうした環境だったからこそ、気がつけたことも多かったなぁと思えるようになりました。
もちろん他の人が普通に気がつくことが、自分にはわからないということも多々あると思います(そっちの方が多いかな。。)
男にとって父親は近くにいながら、背中しか見えない、近いようで遠い存在です。
常に身近な存在である母親とは違う。
自分の思う父親像は、他人が考えるそれとは若干異なっているのではないかと思うことがあります。
世の中と自分、好きなことと仕事、家族、愛情、お金、大切なこと、人生、幸せ、そうしたことを大人になってから考える度に父を思い出さないことはありません。
SPECTATOR つげ義春特集です。
さて前置きが長くなりましたが、今回は父親が紹介されている書籍が2冊新刊で出ているので紹介したいと思います。
最初は「SPECTATOR」という雑誌です。
今回はつげ義春特集で、その中で僕の父は、つげ義春に影響与えた作家として紹介されています。
取り上げてくれたのは、劇画研究の第1人者である編集者の浅川さんです。
生前つげさんと交流のあった父は、つげさんのことについて僕に話してくれたこともありました。
つげさんと父は「迷路」(1958年発行)という貸本雑誌で一緒に描いていたことがあるのです。
おばけ煙突が収録された「迷路」の表紙には父の名前もあります。
大阪で活動していた父は、劇画というジャンルを作ったグループの中心メンバーでした。
彼ら7人は、のちに劇画工房というグループを作り、団体で活動するようになります。
彼らは自分たちの作品=劇画工房のメンバーだけの作品を掲載して発行する雑誌を自分達で作り始めていました。
東京のつげさんは、関西の作家たちで作られた劇画工房のメンバーには入っていません。
それがなぜ父と同じ雑誌に描くようになったのか?
影1号に収録されている父の作品「隣室の男」から。
蒸気機関車が出てくるつげさんの作品と父の作品の比較。
その頃の父は、「劇画工房」のメンバーには入らず、一人で「駒画工房」の看板を掲げて活動していました。
ともに共同生活を送りながら劇画というジャンルを作った仲間、辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかを(いずれも劇画工房メンバー)とは合流せず、1人で別行動を取って活動していました。
「劇画」のルーツとなる「駒画」という表現ジャンルを先に作り上げていた父は、駒画に対抗して1年半後に作られた劇画=劇画工房には特に入る必要がなかった、と生前僕に語っていました。
自分の作った「駒画」に愛着もあったのだと思います。
だから大阪の劇画工房の作家たちによって次々と世に出てくる雑誌を尻目に、一人東京の作家=つげさんたちと東京の出版社で作品を描いていたのでした。
つげさんの傑作「おばけ煙突」の資本雑誌には、父の作品も一緒に収録されています。
しかし、辰巳さんやさいとうさんなど、大阪の友人たちが出版する雑誌に掲載するには劇画工房に入らなければならない。
最終的には父も、劇画工房へ合流することになるのでした。
このエピドードにも父の性格が表れていると、息子は感じます。
こちらは光文社から出ている片岡義男エッセイの新刊。
もう1冊は片岡義男のエッセイ集「珈琲が呼ぶ」です。
片岡義男さんといえば、「スローなブギにしてくれ」が一番有名ですね。
父が70年代に描いた「たばこ屋の娘」という作品を自分の本に載せたい、という連絡をもらった時には、片岡義男が父の作品を知ってるのか???マジか??と、かなり戸惑いました。
彼のようなメジャーな有名人wwと、父のインディペンデントな作品に接点があるとは到底思えなかったです。

送っていただいた本を読ませてもらいましたが、これまたびっくり。
その描写が的確で(プロなんで当たり前ですが)、特に父の作品に出て来る街の情景が、西武新宿線の中井駅であると言い当てていることに相当驚きました。
舞台は中落合とはどこにも書いていないのに、絵を見ただけでそれがわかるっていうのはなぜだろう?
以前もブログで書いたことがありますが、それは僕と父だけしか知らない親子の秘密のようなことだと思っていました。
自分が小学校のころ、学校まで通った情景がマンガの中に描かれていて、見る度に家族で暮らした中井での様々な思い出が浮かんで来て、ノスタルジックな気分になります。
それは極めて個人的な感情で、他人にはわかり得ないこと、作品は日本のどこか架空の街が舞台となったストーリーと読者は思うはずと思っていたのですが、本に書かれているその指摘には本当に驚きました。
彼は中井に住んだことがあるのかな。
でないと、絶対にわからないと思うのです。
「たばこ屋の娘」に出て来る中井の踏切。
「たばこ屋の娘」「劇画バカたち」どちらもamazonで変えますので是非。
他にも父の別の作品で、劇画の誕生秘話を描いた「劇画バカたち」も取り上げてくれたり、
「松本正彦駒画短編集」の中で、父の亡くなる1週間前に僕が聞いて書いたインタビューの内容を取り上げてくれていました。
父がいなくなって10年以上が経ちますが、こうして今でも誰かがどこかで読んで話題に出してりくれるのは、本当に嬉しいことですね。
今ローマで開かれている展覧会です
最後に。
ちょと話は飛びますが、今ローマの美術館で、アジアのマンガヒストリーを紹介するMANGASIAという展覧会が開かれています。
そこに父の作品も展示されています。
日本だけでなく、世界中で一人でも多くの人が、父の作品に触れる機会があるのは嬉しい限りです。
この展覧会は5年をかけて、世界中を回る展示です。
ローマの前はロンドンで開かれていました。
僕も招待されたのですが、その頃ちょうど仕事が忙しくてロンドンには行けなかった。残念。
次はどこの国で開かれるのかはわかりませんが、日本にも来ないかなぁ。

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松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
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