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民藝に見る柳宗悦のキュレーション力

クリエーター
Apr 14,2022

少し前のことになりますが、国立近代美術館で開かれていた展示「民藝の100年」を見に行きました。

民藝の展覧会ということで、来ている人はやはり意識高い系の女子が多く、、、、

まぁマニアックですよね。

なかなか良い展覧会でした
展示は、柳宋悦たちが結成した白樺派の民藝運動を中心に、民藝の誕生から現在までの100年間を振り返るという内容。
民藝とは、「民衆的工芸」を略した言葉で、 柳宗悦たちが唱えた「新しい美の概念」です。
陶器の展示の仕方にも、柳宗悦たちはルールを設定。
僕は知らなかったんですが、白樺派って学習院の高校に通う武者小路実篤、志賀直哉、そして柳宗悦たちが結成したグループなんですね。知ってました?
まだ高校生だったこの3人が結成だなんて、なんという早熟な、何という出会い、なんという高校なんでしょうね。
白樺派は、ロダンをはじめ、当時最先端だった西洋美術のモダニズムの考え方を積極的に日本に紹介する活動を展開しました。
柳宋悦は、浮世絵30枚との交換を条件に、直接ロダンと交渉して彼に作品を送ってもらいます。
そのロダンの彫刻を一目見たいと多くの人が柳の自宅を訪れますが、その中の1人、当時朝鮮で高校の先生をしていた友人が持ってきた朝鮮の壺を見た柳は、民藝に目覚めます。
あんなにロダンに心酔していたのに、あっさり西洋美術を捨てて、民藝に舵を切るのだから、よっぽど朝鮮の壺に心打たれたんでしょうね。
西洋のモダニズムを見る目が、民藝のベースにあったという事実は興味深いです。
ここから柳宋悦は、日本の生活に注目し、民藝運動をおこします。

民藝運動とは、一般の民衆が使う日常の生活道具の中に「美術」とは異なる手仕事の美しさを発見し、それを通して生活や社会を豊かなものにしていこうという運動のこと。
柳は日本各地の、特に農村に出向き、様々な民藝品の収集を開始します。
自分は陶器や壺にそれほど興味がないのであまりピンと来ませんでしたが、会場には貴重な壺などがたくさん展示してありました。
意識高い系の女子は器好きな人が多いので、やはりそれが理由でその手の女子が会場に多かったと思われます。
民藝もコレクターの要素があり、根底にはスノビズムも感じてしまうので、何でもそうですが、あるレベル以上だとちょっとオタク?嫌み?な部分も感じちゃいますけどね。
僕は器そのものよりも、柳宋悦たちがこだわったプレゼンテーションの仕方、展示の方法や編集力にとても興味が湧きました。
この展覧会の中で一番そこが面白かった。
器は単体で展示せず、必ず生活シーンで一緒に使われていた木製の家具に配置して展示するとか、色々なルールが生まれています。
柳宋悦たちがやっていたことは現在でも通用する、いえ現在でも変わってない、むしろ今求められているキュレーションスキルそのものなのです。
会社から歩いて行ける日本民芸館。開館当初は周りに何もないですね。
日本各地で収集した陶磁器、染織、木工など、名もない作家が作った生活道具の美しさ、その価値を日本中に広めるために柳たちが行った主な民藝運動は3つあります。
まず美術館の設立、2つめに流通販路の開拓、3つめが情報発信としての出版活動、この3つの点を連携させること。
柳宋悦の何がスゴイって自分で美術館まで作ってしまい、初代館長となって様々な展示方法をそこで考案するだけでなく、自分で雑誌まで出版していることです。
デザイナーでもないのに、写真のトリミングやフォントまで設計している。
これって今でいうセルフブランディングですよね。
D&DEPARTMENTとやってること、ほぼ同じです(彼らが踏襲しているのだけど)
芹沢銈介の装丁による雑誌「工藝」
専用のボックスが可愛いです。
日本民藝館は倉敷の大原財閥の力を借りて、1936年に駒場東大前に開館。
雑誌「工藝」の発刊は1931年。
この雑誌、表紙に毎号素敵な染織のカバーが貼られていてとても凝った作りなんです。
中のページでも服地のサンプルのように、染織の布が貼られているページが出てくる。
そしてある程度の冊数が集まると、箱に入れて収集できるという可愛い魅力の仕掛けもあります。
そのデザインがあまりに素敵なので、誰がアートディレクションしているのか調べてみました。
芹沢銈介。なんと型染めの人間国宝でした。
やっぱりなぁという感じ。
芹沢銈介の暖簾の作品。イーリー岸本か!めっちゃカッコいい。
芹沢銈介が手掛けた有名なタイポグラフィのデザイン。
展示の最後の方で、この芹沢銈介が手掛けた民藝レストランのメニューや包装紙などのグラフィックデザインが3点くらい展示されていたんですが、これがめっちゃカッコ良かった。
日本の古典的な様式美をベースにしながらも、決して古典に陥ることなく、西洋のタイポグラフィも取り入れていて、とてもモダンで素敵だった。
あまりにカッコいいので、家に帰って調べまくったんですが、それらの作品はどこにも掲載されておらず、どうしてなんだろうなぁと。
芹沢銈介の作品として出てくるのは、日本の古典的なモチーフが多いですが、商業美術としてグラフィックデザインを要求された作品はマジでカッコいいのに、見当たらないはとても残念です。
芹沢銈介は雑誌での使用を目的に、民藝フォントも開発しています。

芹沢銈介が使っている型染という技法。
詳しくは調べてないですが、たぶん切り抜いたところだけを染織する表現なので、切り絵や版画に近い技法だと思われます。
芹沢銈介の作品を探しているときに、もう1人の型染作家を思い出しました。
芹沢銈介と同じく型染め作家の鳥居敬一。こちらもカッコいい。
同じく昭和30年代に型染め作家として活躍した、鳥居敬一です。
この人の手掛けた作品で有名なのは九段下 にある老舗のお煎餅屋「さかぐち」のロゴやパッケージですね
今見ても素敵です。
そしてもう1つは、1865年創業の小田原のかまぼこで有名な鈴廣ですね
こちらも今見ても新しい。

話が逸れましたが、大量生産品にはないハンドメイドの生活の道具に美的価値があるという考え方だった民藝運動は、後半になると工業製品にも民藝の要素を認めようという考え方に変わっていきます
その思想は日本民藝館の2代目館長となった柳宋悦の長男、柳宗理が受け継ぎ、バタフライスツールをはじめ民藝の考え方をベースとしたたくさんの工業製品の名作を生み出します。
そしてその思想は、日本館の現在の館長である深澤直人にも受け継がれている。
無印良品で魅せたように、深澤さんも大量生産のプロダクトを通して民藝の思想が生活に入り込むことを志向しているのだと思います

時代は変わりますが、日本人の思想の根底に民藝は息づいているのだと、この展覧会を通して感じた次第でした。

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松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
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