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ユージン・スタジオは仏教と関係あるのか?

クリエーター
Aug 23,2023

今年はいま、良い展示が目白押しです。

前回は江口寿史さん、我が友人の現代美術家 宇治野宗輝、そしてソール・ライター展を紹介しました。

ホックニーやマチス(終了)、そしてテートギャラリーの展示。

見たいものがたくさんです。

今回はもう1度現代美術に戻り、ユージン・スタジオを紹介しましょう。

このドアを開くと、真っ暗な空間が広がっています。
場所は、天王洲の寺田倉庫で開催していました。
ユージーン・スタジオといえば、昨年現代美術館で当時最年少若干33歳で個展を開催した現代美術の若手ホープ。
今回は無料で、しかも並ばずに彼の展示がゆっくり見られるということで、行ってきました。

展覧会のテーマは「想像」です。
メインの展示は何と言っても、靴を脱いで1人だけしか入室することができない、暗闇の部屋での作品鑑賞でしょう。
誰も、作家本人も見たことがないという、暗闇の部屋に置かれた像を手で触って鑑賞するという展示作品。
本当に1ミリも先が見えない真っ暗な、広い部屋の廊下を手探りで進み、絨毯の端を足で感じながら角を曲がって進んだ突き当りにある像を手で触れて鑑賞する。
触ってみると、それは1メートルくらい高さがあり、直立した人の形をしている。
これは何だろう?と思わせること、要は「像」を「想」う=「想像する」というコンセプトの展示でした。
設定された非日常空間で、見る側に考えさせる展示内容なのです。
像を触って確認したら、また元来た道を手探りで帰ってくるのですが、1センチも先が見えない暗闇を手で探りながら、足にあたる絨毯の感触だけを頼りに戻ってくるのは、非日常的で恐怖すら感じます。
ここでしかできない特別な体験という点が、展示の大きな山場であり、エンタメに近い要素がある。
アートとしての美術作品の鑑賞というより、記憶に残る特別な体験の方が勝る印象を持ちました。
木とシルバーのフレームとグラデーションのコンポジションがいい。
他にも巨大なキャンバスに、グラデーションが描かれた抽象絵画のような作品。
一見、マーク・ロスコのような抽象絵画に見えるけれども、実際には印画紙に太陽の光を当てて黒く変色させたものであり、太陽に当てる時間を微妙に変えることによって、グレーのグラデーションのストライプが出来上がる。
人の手による筆跡ではなく、自然が残した痕跡とでも言うのでしょうか。
1枚たりとも同じグラデーションは存在しない。
小さいものから、巨大なものまで複数展示されていました。
同じグラデーションでもこちらは巨大な作品。太陽光とは気づかない。
会場にあるすべての情報は、同じフォント、Q数、シルバーで統一されている。
印画紙に黒く残された太陽光の作品とは対照的に、隣の部屋には白いキャンバスに白い絵の具で、点描の技法で描かれた作品が、相反する黒と白のように対比して展示されていました。
白い作品は一見、何も描かれていないように見る巨大キャンパス。
しかし実は人の手で相当な時間をかけて、無数の点を筆で描いている(けれど見えない)。
目にはっきり見えるが、人為的ではない太陽の絵と、よく見ないと見えないが、人がかなりの時間を使ってびっしりと点を打った作品との対比。
ここにも見る側に何かを思わせるテーマが存在しています。
白い巨大なキャンバスが展示されている部屋。
近くに寄ってよく見ると白の点描で描かれている。
さらに別の部屋に進むと、こちらも最初の部屋と同様の真っ暗な部屋。
その先に天井から滝のように何かが下に流れて落ちている。
あれは何だろう?
近づいてみると、それは微細な金粉が天井からさらさらと砂のように落ちているのでした。
落ちた床には金粉が溜まっていますが、微量なので砂時計のように山のカタチにはならない。(ギャラリーの人に聞いたら、1日1回営業時間が終わったあとに落ちた金粉を集めているらしい)
暗闇の天井から金の粉がサラサラと落ちてくるという、実にポエティックな、あるいは仏教の何かの教えのシーンに出て来そうな展示。
このような光景は文字では簡単に表せるけれども、また文学作品に出てくる表現で、読み手はその情景を想像できるけれども、実生活ではなかなか見ることができない光景、それが目の前に現れるという非日常な体験です。
最後はGold rainという作品。
展示のすべてが、何かをこちらに考えさせようとしている(が、考えさせている風で、実は何もないということのようにも思う)という内容でした。
コンセプチュアルアートなので、それはそういうものでしょう。
しかし、それは何なのかは、謎のまま。
あるようで、ないのかもしれないし、何かを言っているようで言っていないかもしれない。
ただ確実にそこに存在するのは非日常の体験。
そのすべてから、仏教的なものを感じたのは自分だけでしょうか。
禅のような、日本人らしさも感じました。
3メートルくらいある高さからさらさらと金粉が落ちて来る。
TOKYO ART BEATに、美術評論家の面白い記事が掲載されていました。
今の時代には珍しく、かなりの辛口でそこまで批判する?っていう記事の内容で、それが自分にとってはとても面白かった。
自分はその記事に対して、反対も賛成もしないけれど、実に面白いなと。
記事を簡単に要約すると、ユージーン・スタジオの作品は、過去多くの作家がやってきたことの焼き直しであり、それらの作家たちの作品よりもテーマ性は低く、装置だけが大きくなっている、そこが極めて現代的であり、クリエーターの皮を被ったマーケターだというニュアンスでした。
確かにどの作品も極めてプレゼンテーションのスキルは高く、凄くカッコよい。
むしろカッコよさが命というところがあります。
自分も思いましたが、表現の鑑賞というより体験の方が勝る。
だから装置が大きいけど中身がないという批評はある意味そうなのかもしれない。
でも装置が大きいことで、特別な体験を提供できるならそれはそれでいいことのようにも思いますけどね。
自分はSNSが牽引するマーケターの感覚というのとは別に、仏教のようにそれは「空(くう)」の概念なのかなぁとか勝手に感じたりしましたね。

批評家が作家を批判するのは美術界なら当たり前で、近年ではそこまで言う人はいないように感じていましたが、過去なら優れた作家に対しても批評家が辛辣なことを言うのが当たり前だったと思います。
それが良かったし、そうでなきゃいけない。
批評家が書く記事に反対する人たちが出て対立したりね。
そうあるべきだし、それがいいと思うんです。
それがなきゃつならないですよね。
もっと色々な作品を見てみたいと思わせる内容でした。
そんな意味も込めて、とても面白い展示だったと思います。
今回の展示はパート1で、ここからパート3まで続くらしいので、皆さん機会があったら是非考えるために足を運びましょう。
それで批評家の言う、何が現代的なのか、自分で体験して判断してみることをオススメしたいです。
やはり体験がすべてなのだと思います。

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松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
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