談話室松本をリニューアルしました。
これまでの談話室松本はこちらからチェックできます

  1. top
  2. 食べる
  3. 兆楽 変わらない味。変わった町

兆楽 変わらない味。変わった町

食べる
Feb 15,2024

この店は誰でも知ってるんじゃないでしょうか?

渋谷センター街の右奥に位置していて、場所的には東急ハンズの手前あたり。

店に入ったことがある、なしに関わらず、黄色いサインはセンター街を通れば必ず目にするランドマークともなっている。

センター街にあるべき象徴的な景色、あるのが普通というイメージの定着と安定感。

中学を卒業して、自分が渋谷に行くようになった高校生の頃から、既にこのサインはあった。

調べてみたら昭和30年代の創業らしいので、もう50年以上この場所で営業していることになる。

激戦区でこんなに長く営業しているとはオドロキで、まさに老舗だ。

渋谷の老舗、訪れたのは30年ぶりです。
店の前には交番がある。
この交番は自分の記憶が正しければ、エドワード鈴木の建築によるものだ。
大学生の頃、ポストモダンの時代に、建築家が交番の設計を手掛けるというプロジェクトが流行った。
今の渋谷トイレプロジェクトのようなものだが、このエドワード鈴木の交番はその代表例として、美大生の間だけかもしれないが、当時話題になっていた。
もちろんその時から交番の背景には黄色いサインがあり、センター街を象徴していた。(厳密には兆楽があるのはセンター街ではないけれど)
内装は大学生で訪れた時と、ほとんど変わっていない。
当時のセンター街は今より人は少なかったような気がする。
センター街から途中で右側に曲がり、井の頭通りからスペイン通りと呼ばれるパルコに抜ける小道を右折するコースが、人の流れとしては一般的だった。
そのため、むしろ人が多いと感じたのは、道幅の細いスペイン坂の方だ。
小道の右側には中国雑貨を扱う大中、左側にはメイドのユニフォームの走りであるアンナミラーズがあった。
スペイン坂を上がった右側には、J TRIP BAR SHIBUYA(通称シブジェイ)というディスコがあり(今のデイリーヤマザキの下)、現在は東京芸大の教授となっている日比野克彦が手掛けたピアノのオブジェのお立ち台があり、その上で毎晩のように踊り狂っている人たちで賑わっていた。
センター街には、他に2つディスコがあったと記憶している。(Big Appleともう1つ)
大学1年生の頃までは、スペイン坂を上った左右、ちょうどパルコの真ん前の2ヵ所、現在A BATHING APEがある場所に、大きなラブホテルが建っていた。
大学を卒業する頃には、その大きなラブホテルは単館系の映画館に生まれ変わったが、知らない人にとっては、お洒落エリアであるパルコの前にラブホテルがあったのかと、きっと驚くことだろう。
しかしながら、兆楽のある建物は今も変わらず、ソープランドとして健在だ。
こんなに若者が多い街のど真ん中にどうしてソープランドが、しかもラーメン屋の上にあるのだろう?それは自分が学生の時から感じていた大きな疑問だった。
ラーメン一杯700円は今の物価と比べると安い方?
ディスコ、ラブホテル、ソープランド、この3つが揃っている場所は、東京の西側では歌舞伎町くらいだろう。
そもそもこの渋谷駅からセンター街、スペイン坂からパルコまでの周辺は、そうした雑多な猥雑感のあるエリアだった。
それが80年代には、パルコの快進撃で文化発信地のお洒落エリアに変わったが、90年代にはチーマーの出現により再度治安は悪化した。
80年代は、そうした欲望の街の猥雑感と、兆楽の黄色いサインのイメージはぴったり一致していた。
90年代後半になると、ディスコもラブホテルも消えたが、2000年を過ぎた現在も、兆楽の上のソープランドのみ健在なのは奇跡的だ。
高校生の時からずっとそこにある。
こちらも老舗なのは間違いない。
ビルの屋上には、今も夜になると角海老という赤い巨大なネオンが輝いている。
不思議なことに、角海老の入口の前を何百回と通過しているにも関わらず、そこに勤務する女性や、店に入っていく客の姿を(出てくる姿も含めて)高校の時から1人も見たことがない。
それでも営業を続けているので、地下通路があるのではないか?と勝手に思っている。
味噌ラーメンセットで1300円。雑な作り方も昔と変わってないかも
僕は大学でリリー・フランキーと出会い、一緒にバンドを組んで、月イチくらいのペースで渋谷のTAKE OFF7やLa mamaというライブハウスで演奏していた。
TAKE OFF7は、東急ハンズの井の頭通り口ではない方の出口の前(以前からあった方)、昔はタワーレコードだった場所(今のサイゼリア)の奥から移転してきたハンバーグで有名なGOLD RUSH(1980年創業)の入っているビルの5階にあった。
今は地下アイドル御用達のライブハウスが複数入っているビルだ。
当時、ビルの地下にはチャールストン・カフェと言う、おそらく渋谷で初めてと思われるお洒落な「カフェバー」があったが、今はもうない。
カフェバーという、喫茶店をオシャレにした内装でカクテルを提供する業態が大流行していた頃だ。
リリー・フランキーも僕も、当時みんなそうだと思うが、このチャールストン・カフェで女子とお茶をして、左隣のラケルでオムレツを食べた(ラケルも今はもうない)。
このビルは、NETFLIXの「全裸監督」の劇中に、チャールストン・カフェとして当時の姿のまま再現され登場している。
僕らは演奏が終わったあと、またはリハーサルのあとに、メンバーと兆楽で中華を食べたものだ。
バンドをやっている貧乏な大学生にとって、安っぽい黄色いプラスチック製の目立つサインの中華は、雰囲気もプライスもちょうどよかった。
大学のある国分寺にあるスタ丼(スタミナどんぶり)を食べているのと同じ気分だった。
そしてソープランドの1階にあるラーメン屋というロケーションが、女子たちやお洒落な人たちの足を遠ざけていた。
それも僕らにはちょうど都合が良かった。
兆楽と角海老の入口は、壁一枚隔てただけだ。
今は町中華が流行っているせいで、兆楽にも行列ができるようになった。
センター街によしもとの劇場ができて、兆楽に芸人たちが通うようになり、雨トークでも紹介されたために有名になったという経緯がある。
街の猥雑な時代を象徴したプラスチック製の黄色いサインは、インスタ映えの写真を撮ろうとする人の目的地の目印となり、お洒落な人たちや女子も平気で来るようになった。
それはそれでよいと思う。
赤い角海老のネオンと、黄色い兆楽のサインはセットでランドマーク。
30年ぶりに兆楽のラーメンとチャーハンを食べた。
変わらず値段が安くて、作り方は雑だったが、そこも変わっていなかった。
特に目を見張るものはない。
猥雑な町の象徴はそのままそこにあり、味も雰囲気も変わらない。
店の上にある角海老も当時のまま営業している。
しかし客層は変わった。
店は変わっていないが、周りは大きく変わったということを実感した。

この文章を読む前、タイトルだけを見たら町中華のトレンド紹介だと思った人もいたと思うが、内容はリアルな渋谷の変遷になってしまった。
ドン引きしてしまった人もいたかもしれないが、それが90年代までの兆楽に対するイメージだ。
店内に女子など一人もいなかった。
それこそが自分の知っているリアルな渋谷の兆楽だった。

SHARE THIS STORY

Recent Entry

松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
    青山ブックセンター