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Perfect days 三浦さんへの想い

仕事
Feb 08,2024

先日この談話室でも伝えましたが、ヴェンダースの「Perfect days」はとっても良い映画でした。

あの記事をアップした後、アカデミー賞の外国映画部門に「Perfect days」がノミネートされたというニュースを見て、アメリカ人もこういうセンスを理解してくれるんだなと知り(偏見に聞こえるかもしれないけれど)、良かったなぁと思ったんです。

あの映画を見てよいと感じた人=自分を含めた一部のマイノリティな人の感覚ではなかったと思えました。

それは2年前、外国映画部門でアカデミー賞を受賞した「Drive my car」の時と同じ感覚ですね

でもあれは、ノーベル文学賞に何度もノミネートされている世界の村上春樹というバリューがありました。

https://www.dig.co.jp/blog/danwashitsu/2024/02/post-157.html

まるで絵画のようにも見える、すべて計画した写真
ロードムービーで知られるヴェンダースもそうと言えばそうですが、毎日トイレの掃除を淡々とルーティンでこなし、下町のアパートに一人で住んでいるほとんどしゃべらない初老男性の話、多くの人が興味を持つでしょうか?っていう。
その状態が幸せだという感覚を多くの人が持ち合わせているでしょうか?
映画では感情の動きだけが綴られていて、事件は何も起こらない。
「Drive my car」よりも起きない。
ハリウッド映画にはないセンスだと思うし、ヴェンダース自身も「帝国映画」と呼んでハリウッドの映画製作のことを批判しているんですよね
それでも、自分が感じた感覚は帝国にも通じるインターナショナルなものなんだなぁと実感できて、なんだか嬉しくなりました。
ヴェンダース自身が「Drive my car」をベストムービーに挙げているのも、日本人として嬉しい限りです。
2本に共通する、小津安二郎はやっぱり偉大ですね。
日本の美と西洋文化の融合のコンセプトは自分が考案しました
さて連想ゲームのようにつながっていく話なんですが、僕には親しい友人のカメラマンがいました。
彼は僕より少し年上で、美術大学を卒業した後、日本デザインセンターでカメラマンとして働きはじめます。
日本デザインセンターを辞めて、フランスで3年ほど過ごしたあと、帰国後はフリーのカメラマンとして活動していました。
僕がこの三浦哲也さんを知ったのは、2人の共通の友人である設計事務所IMAの代表を務める小林君(NHKでも特集番組が組まれるインテリアデザイナー)に誘われて行った、彼の家で開かれたホームパーティがきっかけです。
今から20年以上前のことですね
ソリッドなバルセロナチェアと合わせたミニマリズムな1月
彼は当時、日本のモードファッション雑誌VOGUEで撮影の仕事をしてましたが、話しているとUFO(United Future Organizationという90年代を代表する日本の3人組JAZZ DJ)のデビューアルバムのカバーの撮影もしていて、当時西麻布にあったYELLOWというクラブで、月1回開かれていたUFO主催のJAZZ INというイベントに行っていた自分は、出会った頃は彼とそのことで話が弾みました。
以後よく話すようになってわかったのは、得意なのはファッションよりもインテリアや建築の撮影ということ。
彼自身もインテリアに造形が深かった。
VOGUEよりもELLE DECOなど、インテリア系の仕事の方が多いようでした。
そんな彼のインテリアの写真をいくつか見せてもらって、いつか一緒に仕事ができたらなと思っていたんです。
こちらは銀座三越の1階にある店舗です。街にロゴが溶け込んでいて嬉しいです
その頃、うちの会社では日比谷花壇の仕事を多くやっていました。
代表的な仕事だと、全国に200店舗あるHK HIBIYAKADANのロゴマーク(街で見たら思い出してください)、オンラインストアのロゴマーク、その他たくさんのロゴやデザインなどなど。
その他にも帝国ホテルのブライダルカタログの仕事や、オンラインストア構築、ブランドサイト、カタログ、販促ツール。たくさんの仕事を数年に渡り担当させていただいていました。
その中の1つにあったのが、コーポレートカレンダーの制作です。
カステリオーニのフロアライトの曲線と呼応するアレンジメント
当時の日比谷花壇は、社長が息子さんに代わった頃で、老舗の古いイメージから脱却して、時代に合ったデザイン経営に踏み切ろうとしていました。
自社のロゴやツールを刷新し、さらに自社のフラワーデザインに付加価値を持たせる目的で、社内デザイナーを媒体に多く露出させる戦略を計画している途上でした。
年末に多くの取引先に配布し、全国の各店舗でも販売される、企業の顔となるカレンダーは、社内で選抜されたフラワーデザイナーのポートフォリオにしたいという想いがあり、当時デザイン戦略のコアを担っていた私たちがこの仕事を依頼されました。
制作です。
秋に入った10月は、ウッディなテーマで壁面にオータムカラーのアレンジ
相談を受けた時に、すぐ思いついたのが三浦さんです。
早速三浦さんのポートフォリオを見せて、彼の撮影でこのカレンダーを作ることに日比谷花壇からの合意を得ました。
今思えば、かなり大変な仕事でした。
まず全体のコンセプトを決め、13ヶ所(12ヵ月+表紙)の撮影場所を探して広くロケハンを行う。
撮影場所が決まると、そのインテリアに合わせて作品の形状、色、サイズ、鉢、アングルを細かく決めるために、選ばれた13人の社内デザイナーと何度も打合せを重ねる。
当日は、前日または当日早朝に市場から仕入れた生花を使って、その場でフラワーアレンジを作っていただき撮影する。
特に窓からの陽の光の入り方もロケハンで調査しておき、逆算してその時間合うようにジャストで撮影を行う。
モデル撮影よりも緻密な作業で、すべてを事前に細かく計算して臨むシューティングでした。
陽の光が美しい11月、葉が落ちた初冬の樹木と光のハーモニー
この一連の作業をほぼ、自分と三浦さんの2名だけで毎年行っていました。
13名それぞれの方に個性があり、大型のアレンジもあって、打合せは複数回で長時間に及びました。
デザイナーの方は日本中から集まるので、リモートがなかった当時、打合せは大変でした。
数年間に渡り、三浦さんとは濃い仕事をやらせていただいた。
2人とも早朝から深夜まで、連日の打合せと撮影でクタクタになりました。
結果、三浦さんと自分、フラワーデザイナー3者による1回限り、13種類の競演が見事に写真に結実しています。
インテリア写真のように見えますが、花は生き物なので、当然そこには時間の概念がある。
一瞬の時間が、もう2度と戻らない時間がそこに込められているような、現場の空気感まで伝わってきます。
今見てもまったく古さは感じません。
壁面のアートと響き合うように作られたアンサンブルな作品
三浦さんは1人で生活していましたが、何度もホームパーティーを開いて料理をふるまってくれたり、時には三浦さんの運転するランチアに乗って2人で九十九里まで泳ぎに行ったり、数々のパーティーにも同行した良い思い出がたくさんあります。
三浦さんは自分の生活にルールがあって、それを決して崩さず、やる/やらないの明確な判断基準を常に持った人だった。それは他人よりも厳格だったように思います。
時には突然ゆえにそれが不器用に映ったり、時にはクリエーターのこだわりとして作品のクオリティにも現れた。
女の子はすごく好きだったけど、結婚は1度もしなかった。
家はいつも整頓されていて、センスがあるインテリアだった。
自分が持っているルールに従って物事を決め、ポジティブに選択した生活に責任を持ち、自身でそのスタイルを楽しんでいた、僕にはそのように見えました。
それは、「Perfect days」に出てくる、平山と少し重なり合うところがある。
自ら選択して、自らが楽しんでいた。
でもそれは、映画の最後の3分間のような思いがないわけではなかったようにも思います。
僕にだってそれはある。

ベンシャーンとホックニー、エドワード・ホッパー―が好きだった三浦さん。
芸術の話をよく2人でしていた。
芸術が2人を結んでいるという実感がありました。
もし今いたら、「Perfect days」を見てどう思ったかの話がしたかった。
三浦さんがいなくなって2年が経ったけれど、このカレンダーは僕の宝物です。
この写真に三浦さんと僕が過ごした時間も、一瞬の情景として定着されている。
三浦さん、素晴らしいよ。ありがとう。

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松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
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