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竹内まりやの80年代の名曲 再ブレイク

音楽
Apr 10,2019

1980年代、それは僕の甘酸っぱい青春時代でした。

1984年にリリースされたアルバム・VARIETYに収録されているプラスチック・ラブ。

作詞、作曲は竹内まりや

プロデュースは旦那の山下達郎。

この曲、当時たくさん聞きました。

聖子ちゃん全盛の時代、世の中的にこの曲は大してヒットはしなかったけど、個人的にたくさん聞いた。

最近、80年代のレコードを毎日家で聞いてます。
今、80年代の日本のシティポップが国内だけでなく、海外で大人気だと言います。
なぜだろう??
バブルの頂点と言われる1991年まで、経済の成長が昇り詰めていく中で作られた音楽にも、他の国にはない何かしらの特殊な高揚感が反映されているのでしょうか?
84年にリリースされたプラスチック・ラブは、いま海外で大きなヒットとなっています。


本人による原曲。バックを務めるミュージシャンも豪華。


出会いと別れをプログラミングして、限られた時間だけ楽しければそれでいい、
ディスコで朝まで踊る日々、恋愛はただのゲーム、プラスチック・ラブという、なんとも刹那的な歌詞。
これは80年代という時代を象徴していると思います。
当時はディスコ全盛で、メッシー、アッシーの時代。
デートは、家の前まで車で迎えに来てもらうのが常識でした。
そんな世相に後押しされて、男を手玉に取る女子たちも当然たくさん存在しました。
12/24のホテルやレストランは、半年前にすべて予約で一杯。
クリスマスイブに赤プリをはじめ、都内のシティホテルに泊まりたいなら、少なくとも夏までには予約を入れないと利用は不可能だった時代です。
12/24、25日には、本命の彼氏も含めてスケジュールを調整して、複数の男子と時間差の梯子でデートする女子も多く。
選択権は完全に女子側にあり、選ばれるために男子は相当な出費を覚悟して、あの手この手を使って、涙ぐましい努力をする時代だったんです。
すべてはマニュアル化されていた。
マニュアルにあるルールに従わないと、女子には見向きもされないという悲しい時代でした。
もちろん、自分はルールにまったく従わなかったので、人間以下のヒドイ扱いを受けました・・・


22歳の日本人女子Friday Night Plansによるカバー


こちらも日本人アーティストtofubeatsによるカバー


プラスチック・ラブの後半には、以下のような歌詞が出てきます。
「夜更けの高速で眠りにつく頃、ハロゲンライトだけ妖しく輝く」
そう、遊んだあとの朝方の高速。
歌詞のこのパートを聞くと、青春の日々が走馬灯のように浮かんできます。
毎日のように遊んで、帰宅は必ず夜明け。
店を出ると外は明るくなっていて、いつもタクシーで帰宅していたあの頃。
マニュアル化された男女の恋愛ルールに、全く迎合できなかった松本青年でしたが、一人前に毎週朝まで友人たちと遊んでいたのでした。


山下達郎バージョン。歌い上げが半端じゃない!


話を戻してシティポップです。
そんなバブルのきらめきをまとった80年代のシティポップの音楽。
他国にはない日本独自の要素があるのでしょうか。
シティポップの中でも、特にこのプラスチック・ラブの人気は、ここ数年で相当に高まっているのです。
昨年から、日本人でカバーしているアーティストも複数出てきました。

過ごした時代とともに思い出に残る曲が誰にもあると思います。
僕にとってこの曲は、80年代を代表する思い出の曲です。
もちろん他にもたくさん好きな曲はありますよ。
でも、当時の世相が歌詞とメロディに表現されていて、少しだけ切なく、甘酸っぱい気分になるのがこの曲です。
マテリアルな価値、一方向からの尺度でしか物事を評価しない時代、それに乗ってみんなが浮かれていたけれど、それは人工的な虚構の価値=プラスチックだというのを、恋愛をメタファーにうまく切り取って表現した歌だと思います。


オケだけ使って、ブロンディとミックスしたバージョン


こちらはダフトパンクとのリミックスバージョン

聞いていた当時も、知り合いの女子のことを歌っているようで、切ない気持ちになりました。
この曲に出てくるような女子は当時たくさんいたと思います。
そんな想いが、今でも繰り返し思い起こされるっていうところがこの曲の魅力ですかね。
振り返れば80年代は楽しかったけれど、ルールから逸脱していた僕は女子からの評価が極めて低く、本当に不遇の時代だったと思いますw


歌と楽器、すべて一人で演奏する外国人

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松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
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