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サヨナラとしまえん、沢山の思い出をありがとう。

東京
Sep 02,2020

昭和の時代、東京で遊園地と言えば?

ディズニーランドもない時代、東地区には「後楽園」、西には「としまえん」

それが東京23区の2大遊園地として知られていました。

よみうりランド、向ケ丘遊園、多摩テック、西武園、荒川遊園、花やしき、上野こども遊園地などなど、他にも遊園地はありましたが、知名度と規模では「後楽園」「としまえん」だったと思います。

営業不振で、既に多摩テック、向ヶ丘遊園、上野こども遊園地は消えてしまいましたね。

この景色をもう見ることはできません。残念です
東京生まれの僕は、小さい頃、両親にいろいろな遊園地に連れて行ってもらいました。
都内にある遊園地には荒川遊園以外(w)全部行ったと思います(デパートの屋上にある遊園地もね)
生まれたのが新宿だったこともあって、「後楽園」と「としまえん」の2つにはよく行きました。
引っ越しして中野に住んだ中学生以降は、もっぱら「としまえん」でした。
東地区に住んでいたら「後楽園」に行っていたでしょうね。

「としまえん」は挑戦的な遊園地だったと思います。
新しい企画を次々と投入して、人々を飽きさせない工夫がありました。
小学生の頃プールと言えば、もっぱら市民プールでしたが、親戚や親と行く時に限ってはテーマパークのプールにも行きました。
候補にあがるのが、「サマーランド」と「としまえん」
でも「サマーランド」は家から遠い。
そんな時に利用したのが当時から7つのプールで知られた「としまえん」が誇る、世界に先駆けて導入した流れるプールでしたね。
日本最古のメリーゴーランド、ドイツ製のカルーセルエルドラド
100年前にドイツで作られ、アメリカ経由で日本にやってきました。
「としまえん」は西武池袋線に乗って豊島園駅で降りたら真ん前。(池袋からたった14分!)
家からも行きやすかった。
中学生になると、これも日本初登場のウォータースライダー、そしてハイドロポリス
高校生の時には、日本に初めてやってきた回転するジェットコースター、コークスクリューが登場。(空中で2回転)
友達の間で、すごく話題になったのを覚えてます。
逆さまになっちゃうなんて考えられない未知の体験でした。
他にも100年以上前に作られて今なお動くメリーゴーランド、
マジで怖いお化け屋敷、ミステリーゾーン。
高校生の松本青年は、男女混合のグループで行ったものです。(甘酸っぱい思い出・・・・w)
その後、2台の船が空中で行き来するブランコ型のフライングパイレーツが登場。
これもまた日本初でしたが、以後「としまえん」のアイキャッチになりましたね。
大学生以降は、大貫卓也が手掛けた「プール冷えてます」の広告が話題に。
当時はパルコが飛ぶ鳥を落とす勢いでしたが、そんな中にあっても、子供向けに絞らずきちんと大人にも話題を提供する、攻めの姿勢が「としまえん」の特徴でした。
乗り物やキャンペーンだけではなく、今のテーマパークでは当たり前となっている1日のりもの券を日本で初めて販売したのも「としまえん」
日本初の屋内スキー場を作ったのも「としまえん」でした。
人気のミステリーゾーンは長蛇の列
そんな「としまえん」の忘れられない思い出を紹介しましょう
大学生の時、当時一緒にバンドをやっていたリリー・フランキーたちと流れるプールに行った時のこと。
みんな更衣室で着替えたら、リリー・フランキーだけ海パンを持って来てない。
彼はその日、家から履いてきた白いブリーフと半ズボンのまま、上だけ脱いでプールに入ってましたw
プールは水着着用が原則なので、監視員に何度もマイクで怒られてましたが、無視してました。
そして、リリー・フランキーはまったく泳げないww
プールでは僕の背中に乗ってました。(亀かっ!)
カワイイ女の子を見つけたのでナンパすると言い出し、その子のあとをついて、流れるプールを7、8周したのを覚えてます。
その間、ずっと僕の背中に乗ってましたけど、勇気がなくて全然ナンパできない。
そうこうしているうちに女の子たちがプールを出てしまい、それを追って自分たちもプールを出ることに。
プールを出てから遊園地でも女の子たちを付けて、ようやくリリー・フランキーがナンパしたんですが、秒速で断られるというww
断られてしまったので、持っていた乗り物チケットをあげて立ち去るという謎の行動・・・・w
そこまで3時間くらい尾行に時間使いました。。。
コニーアイランドにもある風景。美しい
また秋に「としまえん」に行った時には、1日券を買ってフライングパイレーツに連続何回乗り続けられるかという遊びをよくやってましたね。
リリー・フランキー含めて、5,6人で何度も連チャンでフライングパイレーツに乗るんです。
そうすると、だいたい5回目くらいから気持ち悪くなる奴がいる。
それがギター担当の越智くんでした。
彼はだんだん顔色が悪くなってきて、気持ち悪いと言うのですが、
もともと本人はヒゲが濃いので、顔が青く見えるのはヒゲのせいだ、まだ乗れると言ってみんな信用せず、乗り続けた結果、最後に吐いてしまいました。
その後も「顔が青く見えるのはヒゲのせい」と言っていじってましたが、その時は本当に大笑いしました。
ホントに失礼な話なんですが。
いい思い出?です。
としまえんの顔になったフライングパイレーツ
でも大学生の時の「流れるプールでブリーフ事件」「パイレーツ ヒゲ事件」以降、卒業して社会人になってから「としまえん」には行かなくなりました。
選択肢が増え、ニーズに合わせて行く場所を変えられるようになったことが大きいと思います。
絶叫系は富士急ハイランドにお株を取られ、デートはもっぱらディズニーランド、屋内スキーはザウス、プールはワイルドブルー横浜、ファミリーで行く地域密着型の「としまえん」の存在は薄れていきました。
そんな中にあっても頑張って営業を続けていましたが、今年の8/31をもって94年の営業に幕を下ろすことになってしまったんですね。
閉園前にどうしてももう1度「としまえん」に行きたかった僕は、Webでなんとかチケットをゲットし、滑り込みで行くことができました。
プールにも行きたかったんですが、競争率が激しくてプールのチケットは取れませんでした。
行くことができたのは遊園地エリアだけですが、行ってみたら何も変わっていなかった。
中学生の時に乗ったメリーゴーランドやミステリーゾーン、越智くんが吐いたパイレーツもそのままそこにありました。
日本初の宙返りコースターの乗り心地もそのまま、夏の間だけ夜に打ち上げられる花火も昔と同じでした。
アメリカの映画に出てくるような情景は懐かしくもあり、なくなってしまうのは残念です。
でも僕が社会人になって1度も行かなくなってしまったように、多くの人の心が離れてしまったから閉園に追い込まれたのだと思います。
ノスタルジーだけで営業を続けることは無理な話です。
ハリーポッターに生まれ変わったらみんな忘れてしまうでしょう。
悲しいですが、それも時代ですね
サイトに掲載されたご挨拶。泣けます。
花やしきは、大人になった今も時々行っています。
上野こども遊園地がなくなってしまった時も悲しかったですが、花やしきがそうならないように、これから何度も通い続けたいと思ってます。

最後に。
山下達郎のヒット曲「さよなら夏の日」
今の季節にぴったりの名曲ですが、この曲は「としまえん」の流れるプールのことを歌ったものです。
知ってました?歌詞に出てきます。
ラジオで山達ご本人も言ってましたが、高校生の時に彼女と流れるプールでデートしたときのことを歌ったものだそうです。
山下達郎さんは池袋生まれ。
僕らとやってることはあんまり変わりませんが、西東京に住んでいたみんなが同じような経験をしたことでしょう。


「としまえん」はたくさんの人に素敵な思い出をくれました。
94年間、ありがとう。

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松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
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