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東京多摩地区はカルチャー震源地 3

音楽
Dec 06,2018

「東京多摩地区はカルチャーの震源地」の第2回から随分間が空いてしまいました。

読んでもらった人も、2回までの内容をすっかりスッカリ忘れてしまったと思いますが、今回第3回です。

前回の第2回も、またまたモッズについて話してしまいました。。

しかし、当時東京の多摩地区には多くのモッズがいたのは事実で、ブルーハーツのヒロトやマーシーもモッズだったというのは、意外に知られていないのです。(その筋の人にはよく知られていますが、、)

そしてマーシーのように、多摩地区のモッズが全国的に知られるメジャーなバンドになっていった事例が、他にも多くあるのです。

多摩地区と音楽、その関係を調べたら面白いことがわかるかもしれません。

前回の記事はこちらから↓↓

https://www.dig.co.jp/blog/danwashitsu/2017/11/2-4.html

60年代の英国のバンドSmall Facesはモッズのバイブル
前回の記事で、大学の学園祭で行われたダンスパーティ(通称ダンパ)の映像をアップしました。
モッズの友人たちと、ドラムを叩く10代の松本青年の姿・・・・
青春のほろ苦さとは逆に、VHSの映像ってなんて汚いのだろうという印象ですね 笑

80年代初頭、東京西側に多く出現したモッズですが、それはインディーズシーンであり、東京の音楽・カルチャーシーンの中心だった渋谷、原宿、六本木など東地区のメジャーシーンとはかけ離れた、遠い田舎町での出来事でした。
サバービアという言葉が90年代に流行りましたが、モッズもまぎれもなくサバービア=郊外における出来事だったのです。
そんなモッズブームが少し下火になった頃、多摩地区の美大生の間では次のムーブメントが起きていました。
それがネオGS、ガレージパンクブームです。 そのシーンの中心にいたのが、多摩美の”ファントムギフト”というGSのバンドでした。
ファントムギフト。サイケなジャケットと衣装、、、スゴイよね
GSとは、グループサウンズの頭文字の略称ですが、若い人はグループサウンズという音楽ジャンルをきっと知らないでしょうね。。
60年代から70年代初頭にかけて流行った、日本語で歌う英国のマージ—ビートと日本の歌謡曲のミックス?みたいなジャンルです。
ジュリーのいた”タイガース”、ムッシュとマチャアキ率いる”スパイダース”、ショーケンのいた”テンプターズ”などなど、60年代にはたくさんのGSのグループがいたわけですが、”ファントムギフト”は、それらを80年代の感性で再解釈して演奏していました。
いつもガムを噛みながら演奏するナポレオン山岸のギターにシビれたものです。 ライブでは毎回それなりの観客動員数があって、新宿JAMも古着を着てモンキーダンスをする女子たちで満員。
テレビにも出演するようになってメジャーデビューも果たし、売れるかと思いきや、あまりメジャーでは売れませんでしたね。 他にも同じく、GSガレージのジャンルからメジャーデビューした バンドには” Hippy Hippy Shakes”がいました。
ジャケットのモデルを務めた女子は同じ大学の2つ下の後輩。
そして彼らをプロデュースしたのが、ピチカートファイブの小西さんだったこともあり、それまで多摩地区というサバービアでのインディーズ現象だったものが、のちの”渋谷系”というジャンルに徐々に接近していくのでした。
当時、このレコードは相当聞いたなぁ、懐かしい
モッズバンドとして今も活動を続けるコレクターズ。前身はBike
ムーブメントの渦中には、多摩地区で活動する同じような指向性を持つバンドを集めて作られた「Attack of mushroom people」というアナログ盤のレコードが出て、当時みんなよく聞いたものです。(ジャケットのイラストは多摩美のジミー益子先生) ” ファントムギフト”をはじめ、”コレクターズ” 、”ストライクス”、 ”少年ナイフ”(再発時のボーナストラック)、などモッズからガレージまで、たくさんのバンドがこのアルバムに参加していました。
シーンが徐々に盛り上がる中、複数のバンドが集まって伊勢丹の屋上、九段会館などでライブイベントを開催したり、テレビにも出演するなど、徐々に中央のメディアに進出して、その後メジャーからデビューするバンドも出てくるのでした。 前述の”ファントムギフト”や” Hippy Hippy Shakes”、”コレクターズ” や”ストライクス”もそうですが、中でも一番売れたのは”オリジナルラブ”でしょう。(当時はジナラブと呼ばれていました) 当時田島さんは渋谷の中古レコード屋Hi-Fiの店頭でバイトしてましたが、”オリジナルラブ”は、のちにピチカートファイブに接近し、”渋谷系”と呼ばれることになっていきます。
深夜ドラマ「バナナチップスラブ」の主題歌「月の裏で会いましょう」がヒット
一方同じ時期、アンダーグラウンドなガレージパンクシーンでは、東京にある4つの美大のうちの1つ、八王子にある東京造形大学に”ジャッキー&ザ・セドリックス”というバンドがいました。
当時彼らは(今も?)ギターを担当していたエノッキーの超絶テクニックでちょっと知られた存在。 僕ら(リリー・フランキーと一緒にやっていたバンド)も当時、彼らと対バンをしていましたが、今ではガレージ界のレジェンド的な存在になってます。 ジャンルがガレージなので、まったくもってアンダーグラウンドですが。。
同じくガレージパンクシーンには、メジャーデビューした”グレート3”、映画キルビルに出演したガールズバンドの”5678s”などがいました。
僕も当時の英国ガレージバンドのアナログをたくさん持ってますw
こうして徐々に東京の中央へ波及しながら、盛り上がってきていたガレージシーン。
当時下北沢にあったクラブ”ZOO”では(現在はガールズバーになってる!!)、毎月ガレージナイトが開催され、たくさんのイカれた輩たちが朝まで踊っていたのです。(自分もそこでDJをしたり・・汗)
そんなわけで、当時の東京多摩地区は音楽的才能のMELTING POT=るつぼだったわけで、それらのバンドが中央に進出して音楽シーンを形成し、その後”渋谷系”などと呼ばれるまでになっていくのでした。
シーンを決定的にするのが”オリジナルラブ”、そして”ロリポップソニック”=のちの” フリッパーズギター”です。
モッズが下火になったあと、シーンに下地を作ったGSガレージブーム、それに続いたオシャレ系のネオアコブーム、そして90年代後半にはアシッドジャズのムーブメントがやって来るのでした。

前回の東京多摩地区はカルチャー震源地1の記事はこちらから↓↓
https://www.dig.co.jp/blog/danwashitsu/2017/03/post-7.html


前回の東京多摩地区はカルチャー震源地2記事はこちらから↓↓
https://www.dig.co.jp/blog/danwashitsu/2017/11/2-4.html

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松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
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