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父の作品がいま世界を巡っている3

私の履歴書
Jan 26,2024

前半に続き、インタビューの後半です。

父が70年代に発表した作品「劇画バカたち!」が昨年、イタリアで翻訳されて発刊されました。

自分も取材を受けて、その内容がイタリア語で収録されていますが、せっかくなので日本語の原文をここに掲載したいと思います。

今回はその後半部分になりますが、ここでしか読めませんので、もしよろしければ読んでみてください。

https://www.dig.co.jp/blog/danwashitsu/2024/01/2-7.html

小学館の「ビックコミック」に70年代に連載していた「劇画バカたち!」。
Q11:お父様の名前を目にするときは劇画に関係する場合が多いです。しかし、ある意味、お父様は「駒画」」と呼ぶのが好きで、その先駆けでもありました。もしあれば、「劇画」と「駒画」の違いについて教えていただけませんでしょうか。

父によれば「駒画」は、それまでの漫画の表現と、それに代わる新しい表現を区別するために父が考案した商標であり、1人の作家のトレードマークのようなものです。
父は、筆箱にはもう筆を入れていないのに筆箱と呼ぶのはおかしい、下駄箱もそうだろう、自分が描いているものはもう漫画ではない、だから別の呼称が必要だと思ったと語っていました。
一方で「劇画」は「駒画」に対抗するカタチで考案された名称、上京する際、東京で関西の作家たちの作品を広く認知させるために、自分たちのビジネス戦略として作られた背景があります。
しかしその表現手法については2つに違いはなく、「駒画がなければ、劇画は生まれなかった」と辰巳さんは語っています。
個人商標の「駒画」は、複数が使うブランドとしての「劇画」になった
「やっぱり物語の生命はコマにあるんだ。駒画(のコンセプト)は、映画のコマから採ったけれど、フィルムの齣の漢字はややこしくて読みずらい。それで省略して駒という字を使うことにして描き始めたんだ。」
「駒画という名称を使う前に、辰巳さんには伝えたんだ。もう自分の描いているのは漫画じゃないから名前を変えるよと。でもあとで「松本は漫画の名称を勝手に変えた。びっくりした」と辰巳さんは言っていた。辰巳さんは、自分の作った駒画の表現をすぐ会得したから、彼が描いてるものも駒画と言えば駒画だ。でも俺の専売特許じゃないけど、辰巳さんは駒画とはつけられないよね。そしたらある日、劇画という名前をあとからつけたんだ(1年半後)。だから俺が駒画とつけてなければ、劇画っていう名前もなく、ずっと漫画でやっていたと思う。そういう疑問も感じてなかったから。」。

「兎月書房から短編集の出版を依頼されたので、大阪で活動している影のメンバーで固めようということになった。それで当時東京にいた3人(松本、さいとう、辰巳)のうち、辰巳さんがみんなの了解を得てくると言って1人で大阪に帰り、自宅にメンバーを集めて話したんだけど、劇画の名前をみんなで使おうということになったらしい。辰巳さんが大阪から戻ってきて「大阪の連中が全員劇画に入る。だから劇画工房を作ろう」と言ってきた。それを聞いたさいとうさんは「俺も入れてくれ」って言ったんでビックリした。あのプライドの高い男がだよ。
みんなは漫画に変わる名前がないから劇画でやりたかったのだけど、自分には駒画があるし、劇画工房へ入る必要もなかった。ところが劇画工房に参加しない作家は、出版する本にも描かせないことに決まったというんだ。「迷路」で東京の連中と描いていたけど、大阪の個性的な連中が集まって徒党を組んでいるのは強かった。自分も同じレベルの連中と一緒にやりたくなって、駒画をやめて劇画工房に入ることにしたんだ。」
以下は日の丸文庫の山田社長の言葉です
「ああいう新しいタッチは松本の駒画の方が先やった。辰巳の劇画は1年くらいあとやったのと違うかな。辰巳の方が後輩やったから、ずいぶん影響受けたみたいやし」
コマで時間の経過を表現した「駒画」(=劇画)の初の試み(1955年 黒帯くんより)
Q12:お父様は辰巳ヨシヒロ先生たち劇画工房のメンバーとどのような関係だったのでしょうか。

日の丸文庫が1956年4月に発行したオムニバス形式の単行本「探偵ブック 影」はその後貸本を代表する人気漫画になっていきますが、その第1号の執筆メンバーに松本、辰巳、さいとうの3名がいました。
この3人が当時の日の丸文庫の売れっ子作家であり、影の発刊からまもなくして、3名は大阪で共同生活をしています。
この3名を中心に、それ以外のメンバーを加えて結成された劇画工房は、同じ志を持った8名で構成されており、全員が関西で活動した仲間・同士という関係です。
東京でも3名が先に共同生活をしていた国分寺にメンバーを集めて、同じアパートで暮らしながら、作家活動を行います。
彼らは同士であると同時に、制作から編集、出版までを自分たちの手で行おうとしていました。
劇画工房は松本、さいとう、辰巳を含む8人の作家によって結成されました。 前列一番左でネクタイをしているのが父
Q13:数日前に初めてお会いしたとき、お父様の作品の原稿とイラストがほとんどなく、貸本屋時代の原稿は一枚も残っていないことを知り、驚きました。このことが、お父様の作品が日本で再販されない理由のひとつになっているのではと思うのですが、いかがでしょうか?

日本で再版しても読みたい人がいるかどうか自分にはわかりません…。
劇画含めオルタナティブの漫画は日本よりも海外の方に評価されているように思います。
だから原稿がないだけが理由ではないように思いますが。
逆にイタリアの人たちが父のことを知っていることに驚きました。
興味があるようでしたら、ぜひイタリアでもっと多く父の作品を紹介して欲しいです。

Q14:1960年代から、お父様が大人向けのマンガを出版するようになりました。コミック・ユーモアの要素をあきらめない、とても面白いマンガです。特に「劇画エース」に掲載された『大人のオモチャ売ります!名器・タコ壺・電動式』(1975年)、『長屋の春本作家』(原作:笠原和郎)(1975年)などは、とても面白く、引き込まれましたね。具体的には、『長屋の春本作家』の主人公は若い未亡人の作家で、5人の小さな子供と掘っ立て小屋で暮らしていて、執筆に集中できない、という話です。今回の「エロ劇画」誌とのコラボレーションは、どのような経緯で実現したのでしょうか?また、この作品の原稿も現存しないのでしょうか?

面白そうですね。僕は読んだことがないし、うちにその雑誌もありません。
ですので、原稿もないでしょう。
「タバコ屋の娘」に収録されている作品の原稿も存在しませんが、当時の雑誌のページをスキャンして発刊しました。
それが今フランス、スペインなど海外で読めるようになっています。
これと同じような作業を行えば、発刊できると思います。
英語に翻訳されて出版されたアメリカ版「たばこ屋の娘」
同じく英語に翻訳されたイギリス版「隣室の男」
Q15:イタリアではおそらく知られていないと思われますが、、松本先生は、さいとうたかを先生の『ゴルゴ13』のいくつかの章の原作も書きました。このコラボレーションはどのように生まれたのでしょうか?

前述しましたが、父、辰巳、さいとうさんの3名は、一時期一緒に生活しながら活動していました。
後年、辰巳さんとさいとうさんの関係は、あまり良くなくなってしまいますが、父とさいとうさんの交流は続いていました。
経緯はわかりませんが、そのような交流の中から脚本を手掛けるようになったのだと思います。

Q16:『劇画バカたち』の企画はいつ、どのように生まれたのでしょうか。編集者の依頼で生まれた作品なのか、それともお父様が強く望まれていた企画だったのでしょうか?

1977年から父は小学館のビックコミックに単発的に作品を発表しており、この流れが2年後、同じくビックコミックに発表された「劇画バカたち」につながっていったのだと思います。この企画自体は自分で小学館に提案したものだと思います。
しかし、いざ発表となると、編集者から描き直しなど、多くの細かい注文が入り、本人はあまり納得がいかない部分もあるようでした。
駒画の新しい表現が後に辰巳さんの劇画に引き継がれたように、「劇画バカたち」が辰巳さんの「劇画漂流」に再び引用されているのも興味深いです。
辰巳さんの求めに応じて父は資料を提供し「劇画バカたち!」の16年後に「劇画漂流」が描かれた。
Q17:松本正彦先生の作品の中で、海外で出版したい、読んでほしいと思うのはどの作品ですか。お父様の作品の中であなたにとってベスト3はどの作品ですか?

1位 都会の虹(素晴らしいメタマンガ たぶん日本で初めて)
2位 吸血獣(駒画を初めて使った作品)
3位 東京ファイル(劇画工房時代の傑作)
4位 黒い鞄(駒画誕生前の実験的作品)
5位 金色の悪魔(同上)
自分が父の作品の中で一番の名作だと思っている「都会の虹」
Q18:お時間をくださいましてありがとうございます。最後にイタリアの読者に何かご挨拶やメッセージを頂けますか。

今回父の作品をイタリアで出版いただける貴重な機会をいただき、本当にありがとうございます。
世界中で1人でも多くの人が父の作品に触れる機会ができることは、とても嬉しいです。
1950年代、日本では漫画を読む行為自体が、教育者や子供を持つ親の間で批判の対象となっていた時代。そんな時代の偏見に立ち向かい、世界を変えようと挑戦した3人の若者の漫画に捧げた熱い情熱を、この本で感じてもらえればと思います。
そしてそれが現在に続く日本のストーリー漫画の原点となっていることも忘れてはなりません。
パオロさん、今回は父の作品を取り上げてくださり、ありがとうございました。また会いましょう!CIAO
イタリア版「劇画バカたち!」はメディアにも取り上げられました。日本人も知って欲しい。
インタビューの内容は以上です
パオロさんの博識には本当に驚くばかりです。
日本人も(息子である自分も)知らない情報を遠いイタリアで得ていることが、本当にすごい。。
インタビューの設問にもそれが表れていて、国を問わず、優れた編集者というのはこうあるべきだということがわかりました
本当に感謝です。ありがとうございました。
皆さんはきっと知らないことばかりかと思いますが、漫画の出発点に人生を掛けた作家たちがいたのです。もし少しでも興味があったら、ぜひ触れてみてください。
https://www.dig.co.jp/blog/danwashitsu/2024/01/post-156.html
数年前、父と自分の2人展が実現しました。ドラムを叩いているけど展覧会です。

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松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
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